国立山中病院附属看護学校【さわらび会】のホームページです。

過去の学校だより

さわらび寄稿





1回生 和田 幸子 「さわらび会によせて」



 今から61年前の4月、国立山中病院附属高等看護学院の第一期生として20名の同期生と共に入学いたしました。3年間の勉学、宿舎生活を終え国家試験に合格し、一人前のナースとして旅立ちました。
 小児病棟と看護学校の専任教師を務め、結婚で京都にまいりました。
昭和33年10月20日、同窓会 さわらび会を創立し、多くの後輩に受け継がれ、本年めでたく56周年を迎えられましたことをなによりうれしく思っております。

先日、さわらび会総会に出席致し、多くの後輩の皆さまにお会いでき、さわらび会を実感し、大変満足いたしました。
私は、早くして看護の道をはずれてしまいましたが、その後、保育事業を展開して、44年が過ぎました。忘れがたいさわらびの名を借り、社会福祉法人さわらび福祉会を設立、さわらび保育園、さわらびドリーム保育園、野菊野保育園、若芝保育園、はなみずき保育園、デイサービスセンターエルダー野菊野、和名ヶ谷放課後児童クラブを背負って日夜頑張っております。
 千葉県松戸市でたった1人で始めた0歳児保育でしたが、今は皆様の協力のもと、155人の職員を庸うする「社会福祉法人さわらび福祉会」に成長いたしました。しかし、いつも私の根源にあるものは「山中、そして、さわらび」です。
これから先、いつまでも、いつまでも「さわらび会」が存続できますよう心より後輩の皆さまに託したいと思っております。








2回生 吉村 美智代 「今になって思うこと」



 山中の看護学校が閉校してから早11年が過ぎ、私が山中を離れてからは46年の歳月が経ってしまいま
した。が脳裏に深く残っているのは学院の専任教員の時代です。短い間(昭和39年末〜43年末)でした。当時の教務主任は恩師でもあった今は亡き川畑久子先生でした。また、教員は5回生の中西友子さんと私の3人のみで専任の事務員もいない状況でした。私は、看護学は勿論の事、舎監を兼ねた24時間の教育の重大さと大変さを痛感させられました。あれから半世紀、医学も看護学も大変な進歩をしましたが、私自身の人生の中では、学科も沢山のいろいろの人たちとの人間関係も大変勉強になった時代だったと当時の学生だった皆様にも感謝しています。そしてあの24時間の生活は決して無駄ではなかったと思っていらっしゃる方も多いのではないかと勝手に推測しています。それは何時何処で会っても瞬時に若いあの頃に戻れるのだから・・・
最後に強い絆のさわらび会員の皆様に感謝いたしますと共に、皆様方のご健康とご多幸を心から祈っています。






7回生 西田 ちよい



 私共、七回生22名は2名を失い残りの者、それなりに生きています。この写真は数年前(70歳)のクラス会です。毎年クラス会は、関西・北陸・関東の三ヶ所を当番制で開催し、お互い古い顔を見てほっと癒される会です。最近、極端に写真を嫌い景色を撮っても人物を入れることを好みません。自身の姿を忠実に写してくれるカメラの存在を許せなくなったようです。歩き廻り楽しみ、おいしい物に満足するために老いることは、まだ反抗したい気持ちの七期生。数年後の健康状態など考えずに一年一年生きることを目標にします。
私共は学生時代・働く時代は戦争など、記憶から消そうとした状況でした。残りの数年、今度は思いおこして政治にも関心を寄せて日々意義ある生き方をしたいと思ったりしています。








11回生 野崎 邦子 「11回生のクラス会」



 喜多さん、広川さんの声かけで第24回さわらび会総会後に、11回生のクラス会を「翠明」で行いました。卒業して45年ぶりの再会もあり、お互いに「誰か分らん、誰だっけ?」が挨拶でしたが、話に花が咲き学生時代に戻り深夜二時まで語り合いました。 遠方、神戸からの出席者も交え6名の参加で親交を深めました。3年後の再会でなく、また集まれるときに、集まれる人での再会を約束し、それぞれの帰路につきました。

   






11回生 喜多 昌子 「楽しかったクラス会」



 7月山中温泉で久しぶりのクラス会、11回生は古希を迎えます。山中で出会って50年余の時間が流れました。この間1人々々の人生があり、様々のことを体験してきましたが顔を合わせばすぐに学生時代に戻れます。昔のままの笑い声、あの頃と同じく気持ちだけは若々しく、逞しく今を生きている姿に感動です。まだまだ大丈夫!今回参加できなかった方も次回はお会いしましょう。 残念ながらもう会えない塚口康子さん・亀山勝美さんのご冥福を心からお祈りします。







14回生 杉野文代



 私の楽しみは、毎年12月初旬にフランスへ一人旅をする事である。パリに一週間程滞在し、美術館や朝市、骨董店巡りをして過ごす。この時期に行くのは、寒さが日本と余り変わらず、クリスマスシーズンより安い上、シャンゼリゼのイルミネーションが見られるからである。貴重品もコート下に隠せるので、安心できる。言葉は挨拶と、スィル・ヴ・プレ(英語のプリーズに該当)が話せれば問題なく、買い物は簡単な英語か指差しでも通じる。後は、看護師時代に培った笑顔とコミュニケーションスキルを駆使すれば観光には困らない。旅のテーマは毎回様々で、昨年はアール・ヌーヴォー建築を見て回り、ガレやドームで有名なナンシーでは、旧市街の美しさに感動した。海外旅行に最も必要なのは、体力である。先年、高齢者と呼ばれる年齢に達したが、今後も体力を温存し旅を続けたいと思っている。ワインと美食三昧の後遺症である体重増加には、目をつぶる事にして。







15回生 山崎 さと子 「リフレッシュクラス会」



 私たち15回生は5年前(平成17年)より毎年クラス会を行っています。平成23年も7月3日のさわらび会総会終了後に金沢でクラス会を開催しました。6名の参加でしたが「金沢国際ホテル」で1泊し、美しい夜景を見ながら美味しい加賀料理を満喫しました。翌日は、五十嵐和子さんの運転で鶴来方面を観光しました。白山比盗_社を参拝し(みんな何をおねがいしたのかな?家族の健康・幸せと若返り)、昼食は地元の食材をふんだんに使った「おからサラダ」「野菜てんぷら」等の郷土料理をいただきました。身も心も幸せになりました。車中は看護学校時代に(40年前)にタイムスリップし、しゃべり、笑いまくり楽しい一時でした。
 同窓生の皆様、これからもクラス会でお会いできることを楽しみにしています。
 ある方の言葉「迷うことも大切、悩むことも大切、もっと大切なのは歩きだすこと」







17回生 野沙知子


           野さんは、2012年春に瑞宝双光章を受章されました。おめでとうございます。


 さわらび同窓会員の皆様 いかがお過ごしでしょうか?
 今年7月5日、3年毎に開催される同窓会に出席し、年相応よりもずっと若々しい皆様にお会いし、元気を頂きました。その懇親会におきまして、私事で同窓会より、花束と記念品を頂きましたこと、心より感謝申し上げます。
 私は、去る平成24年6月5日、厚生労働省において勲記・勲章の伝達を受け、引き続き皇居内、春秋の間に於いて天皇陛下に拝謁の栄誉とともにお言葉まで賜り、感激の極みでございました。「瑞宝双光章」は長年、公務・公共的な業務に従事し功あるものに授与される勲章です。今回は同じクラスメートの洒井惠美子さん(北海道在住)と一緒に受賞することができ、喜びも倍増しました。今までの先輩方の受賞に仲間入りすることができました。
 顧みますと、私は昭和47年、国立山中病院附属看護学院を卒業し、37年余の、看護師生活を送り、あの東日本大震災のあった平成23年3月末、金沢医療センターで定年退職を迎えました。勤務の殆どが国立病院(現、国立病院機構)であり、東海北陸管内の5病院でお世話になってまいりました。
 勤務する先々で、病院の看護部のトップとして活躍なさる「さわらびの先輩方」に声掛けをして頂いたり、励ましの言葉を頂き、ホッと安心することの多かったこと。そして「さわらびの先輩方」のまぶしい姿が誇らしかったです。
 いつも、さわらびという同窓会、同窓会員の皆様に心の糧とつながりを感じてきたのは、私だけではないと思っておりますが、いかがでしょうか?
 今は念願であった専業主婦で裏の畑を耕し、家族が明りのともった明るい家に帰宅する喜びを感じ、自己満足しております。
 皆様におかれましても今後、ますますご健勝でご活躍されることを祈念いたしております。ありがとうございました。







24回生 上出 富佐子



 わたしは看護師になり35年になります。結婚、出産、子育てとあっという間に時間が過ぎてしまいました。時とともに主任・師長、そして現在、副看護部長という役職に就き、一人の看護師としての「看護」から、良い看護師を育てる「管理」に仕事がかわりました。親元を離れた私を温かく迎えてくれた山中看護学校の先輩や友人たちとの寮生活の思い出は私の宝物です。そして患者さんとご家族との出会いが看護師の私を支えてくれました。あと数年、現役でいられるかは頭と身体との相談かもしれません。






25回生 井澤 ひとみ



 看護学校を卒業後、京都大学医学部付属病院に就職し、定年まであと数年というところまできました。ずっと同じところで仕事を続けるということには、よくないこともあるかもしれませんが、いいことも多いように思います。あっという間の出来事です。しかし、人生がこれで終わるわけではありません。定年後にしたいことがいっぱいあります。みなさんはどうでしょう?私は目標をそちらに向けて始動していますよ。






33回生 荒谷 由美子



 早いもので社会人になって、26年目となりました。山中病院で4年、保育所の看護職を14年間し、ようやく本職である助産師に戻ったのは40歳でした。 加賀市には、山中の看護学校時代にお世話になった大先輩の開業助産師が三人(浜辺さん、東出さん、吉田さん)がおられ、私も一緒に地域で働きたいと思い開業届を出しました。市町村の赤ちゃん訪問、産院を退院した後の母乳育児支援、クリニックでの骨盤ケア教室、分娩介助等々。毎日楽しく充実した日々を過ごしています。33回生のみんなも今はどうしているのかな?そろそろ同窓会をしていっぱいおしゃべりがしたいですね。






34回生 豊嶋 純子



 現在、山中温泉医療センターの助産師(看護師)として勤務し、9年目になります。私が山中で助産師として働き始めた頃の年間分娩件数は約140でした。現在では80前後になり減少傾向です。4年程前から姉(荒谷由美子さん)の影響もあり、骨盤ケアを勉強し始めました。研修に参加し知識と助産力をつけるべく日々努力しています。去年は20名程の妊産褥婦さんの骨盤ケアをさせてもらい、今までよりも安全・安心なお産の手伝いができたと確信できました。実践で学んだ骨盤ケアを今後も継続し、骨盤ケアの新しい仲間を増やせたらいいなと考えています。







41回生 今井 恭子



 国立山中病院で7年勤務し、能美市立病院に変わり11年が経ちます。能美市立病院には看護学校時代の恩師である水野先生が内科医長として頑張っておられ、糖尿病療養指導士の資格取得の際にもご指導いただきました。私は4人の子育て真っ最中。家事、育児、仕事と時間に追われる日々に悩むことが多くあります。しかし、41回生仲間には国際資格取得しハワイで看護師をしている友人や被災地で看護師として頑張っている友人、それぞれの現場で活躍している友人、今までその仲間との交流が、私自身励まされ看護師として続けられる原動力となっています。






43回生 南保 久美子



 大暑を迎え、寝苦しい夜が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、卒業・就職してから16年が過ぎ、現在は介護老人保健施設に勤務しています。超高齢社会を迎えて、入所者様を取り巻く環境も少しずつ変化しています。老健としての役割の一つである自宅復帰は難しい現状ですが、他職種と連携し日常生活をサポートさせていただいております。 私生活では中学生と小学生の娘を中心に、一日一日が驚くほど早く過ぎ、子育ての大変さを実感するとともに、子供たちの成長を嬉しく思っています。疲れていても子供たちの寝顔を見ると、もともと細い私の眼はますます細くなり、やがて笑顔にしてくれますし、「明日も頑張ろう」という思いがわいてきます。 私は幸い大きな病気もせず、ごくごく平凡な生活を送っていますが、皆様もお体をご自愛ください。




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